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大阪高等裁判所 昭和26年(う)1306号 判決

控訴人 被告人 小野田敏郎 榎原秀子

弁護人 川口弘

検察官 折田信長関与

主文

本件各控訴を棄却する。

当審の訴訟費用は被告人等の負担とする。

理由

本件控訴の理由は末尾添付の弁護人川口弘提出の控訴趣意書の通りである。

第一点について、

業務上過失傷害罪は業務上の注意義務を怠り因て傷害の結果を発生せしめたときに成立するのであつて、注意義務の内容は各業務の種類及び性質に応じて当然の条理に従い自ら定まるべきもので、必ずしも法令の規定をまつものではない。そして注意義務を怠つたものと為すには当該危険が予想し得べかりしもので、しかも避け得べかりしものであることを要する。それゆえに判決には注意義務の内容を明示し、具体的に如何なる作為を為すべかりしに之を為さず、若くは如何なる作為を避止すべかりしに之を避止しなかつたかを判示しなければならない。換言すれば、被告人の如何なる行為(作為又は不作為)を過失と認むべきかを具体的に示さなければならない。されば、注意義務に関する具体的事項を判示しないときは理由不備となり、判示した具体的事項が注意義務として条理上要求せられないものとなるときは事実誤認の疑が存することとなるのである。ところで原判決の事実理由における判示は所論のように誠に拙劣であつて、本件事故が具体的に如何なる注意義務の欠缺に因るものとして被告人にその責任を帰せしむべきものなるかを判定するに窮する次第であるが、その判示を引用証拠と対照して検討するに原判決は第一事実の中段に「かかる幼児に対しては服薬の際惹起すべき危険につき十分の配慮を払い、最も飲み易い散剤、錠剤を粉とせるものを与える等周到なる業務上の注意義務あるに拘らず之を怠り」と判示せる前後において「土井正明(当時満二年二月余)が診察及び投薬されることを嫌忌して常に之を拒否し又泣き続ける状況であつたところ」「気管内に嵌入するときは直ちに窒息死に至る危険ある豌豆大のヘキシルレゾルシン丸三粒を蛔虫症治療の為之を与えんとせしも、右正明が泣いて受けつけないところから、被告人秀子に待合室において服薬せしめる様命じた為」と判示しているところから見れば、原判決の趣旨とするところは、所論が非難するように散剤又は錠剤を粉とせるものを与えなかつた点のみに被告人の過失を認定したものではなく、「泣き続ける幼児」であることに重点をおき、かかる幼児に対しては散剤を与えるか或は豌豆大の錠剤を与えるような特殊な場合は医師の面前を恐れ泣き止まぬがゆえに、看護婦をして待合室において「泣き止むを待つて」服薬せしむる様適宜な指示を与えず、漫然服薬せしむる様命じた点に被告人の過失を認定したものと考えられるのである。ところで被告人は内科小児科医院を開業していた医師であるが、医療法によれば医師はその診療所を管理し、医師たる管理者はその診療所に勤務する看護婦その他の従業者を監督し、その業務遂行に欠けるところのないよう必要な注意をしなければならないのであつて、医師法にいわゆる医薬とは反覆継続の意思を以つて疾病の診療手術、投薬等の医行為を為すことを指称し、投薬中には内服薬の用法すなわち飲み方飲ませ方をも含むものと解するを相当とする。それゆえに医師が看護婦その他の従業者をして服薬を拒否し泣き続ける幼児に豌豆大の錠剤を服薬せしめるような特殊な場合は、泣くこと自体既に深呼吸をなす状態であるから、この際錠剤は気管内に嵌入し直ちに窒息死に至る危険あることは当然容易に予想されるが故に、この危険を避けるために看護婦等に対し適宜な方法を指示すべき業務上の注意義務を有することは条理上当然である。そして、この適宜な方法としては最も飲み易い散剤又は錠剤を粉とせるものを与えるとか、幼児の泣き止むを待つて、服薬の練習を為さしめた後与えるとか、呼気の状態を十分査察し、服薬の際直ちに水を与え嚥下意識と作用を助長せしめるとかの方法が考えられるのである。ところが被告人はかような適宜な方法について条理上当然なすべき看護婦に対する指示を何等与えていないのであるから、看護婦に過失があるからとて被告人にも到底過失の責あることを免れないのである。所論は錠剤が気管に嵌入して窒息死を来した事例は文献にも見たことはなく、経験したこともないことは証拠上明白であるから、通常予想されない危険であると云うけれども、かかる事例のないことはとりもなおさず、普通幼児に対しては、所論の危険が予想されるが故に幼児に対する駆虫剤としては、サントニン、マクニン等の散剤を使用するか或は錠剤を与える外なき場合は予め数回に亘り嚥下の練習を為さしめた上使用するからであつて、稀有の事例であるからとて予想し得ない危険であるとの所論は当らない。結局原判決には理由不備ないしは事実誤認の違法は存しない。論旨は理由がない。

第二点について、

およそ、一定の業務に従事する者がその業務の執行により発生することの予想される生命身体等に対する危険を防止するに必要な一切の注意をなす義務を有することは条理上当然である。ところで、被告人は診療所において看護婦の業務に従事していたものであるが、医師の命を受け、服薬を拒否し泣き続ける幼児に対し豌豆大の錠剤を服薬せしめるような場合は、論旨第一点において説明する通り、錠剤は気管内に嵌入し窒息死に至る危険あることは容易に予想されるが故に、この危険を防止するために医師の指示を求めて論旨第一点に説明する適宜な方法を採るべき義務あることは業務の性質上当然であるところで、原判決認定の事実によれば被告人はかような業務上の業務を怠り服薬の際舌圧子を以て患者の口を開けて舌を押え、豌豆大の錠剤一個を同人の口中に投入し気管内に嵌入せしめたと云うのであるから、被告人に過失の責あることは明白である。右の危険は何人も予想できない偶然の不可抗力であるとの所論は当らない。論旨は理由がない。

よつて、刑事訴訟法第三百九十六条第百八十一条第一項に従い主文の通り判決する。

(裁判長判事 斎藤朔郎 判事 松本圭三 判事 網田覚一)

弁護人の控訴趣意

第一、被告人小野田敏郎に対する控訴趣意

被告人小野田敏郎に対し無罪の判決を仰ぎ度い。其の理由は

一、原審判決は「被告人小野田敏郎は昭和二十五年七月二十四日午後四時過頃自已経営の医院内において土井正明(昭和二十三年五月十八日生)を診察して同人の症状を急性腸炎並蛔虫症と診断し之に投薬せんとしたが右正明は診察及投薬せられることを嫌忌して常に之を拒否し又泣き続ける状況であつたところ」と事実は認定し、右の如き状況の場合に投薬する医師の注意義務として原審判決は「かかる幼児に対しては服薬の際惹起すべき危険につき十分の配慮を払い最も飲み易い散剤錠剤を粉とせるものを与える等周到なる業務上の注意義務あるに拘らず」と説明し斯様の場合には医師は散剤又は錠剤を粉とせるものを投薬するのが医師の責務であつて丸薬を与えてはならないものであると断定している。斯様の場合に医師が患者に錠剤丸薬を与えたならばそれが直ちに医師としては業務上の注意義務を怠つたものであると断定することは果して正しい判断であるかどうか。この事は独り被告人の本件事案のみに限られるものではなくして一般医師が其業務を行うに付ても重大なる関心を払わざるを得ない重大な問題であつてこの原審判決の趣旨が淡々として軽視せられて容易く肯定せらるる場合には医師の患者に対する投薬はここに一大制限を受くることとなり劃期的の結果を招来することとなる。本件事案の結果から逆に遡及して観察して泣き続けていた幼児の口に錠剤の丸薬を入れた為めに夫れが偶然にも気管に嵌入して窒息死を来たした夫れであるから泣き続けている幼児に投薬するには錠剤を与えてはならない錠剤を与えたことは医師の業務上の注意の懈怠であると結論するならばこの場合原審判決に例示する「散剤又は錠剤を粉とせるもの」を与えてもこれが偶然にも気管に入つた場合には又同様の結果となり医師の業務上の過失となるのであるか。錠剤が気管に嵌入して窒息死を来たしたと言う事例は文献にも見たことなく経験したことも無いとは原審証人医師平尾安一並に鑑定人前田眞の鑑定証言でも分明である。斯かることは全く偶発の事例で斯様のことは有り得ない例外中の例外に属する。而かも斯かる例外中の例外をも予想せなければならぬとしたならば「散剤又は錠剤を粉とせるもの」もいつ何時気管に嵌入するかも知れないのである。唯だ「散剤錠剤の粉」の場合には先例がないから仮令「散剤錠剤の粉」が気管に詰まつても医師としてそこ迄は注意義務を要しないと論ずるならば本件事故の発生する迄はどの医師も未だ曾て経験せず、文献にも顯われていない様な錠剤が気管に嵌入した事例は誰しも見聞したことは無いのだからこの場合にも亦そこ迄は医師の注意義務の必要はないと同様に論ずるのが正しいのではないか。稀有の実例否始めての事例が発生したからとてそれを予じめ予見し得ざりし事態が発生したからとて医師の責任を追及せらるべき筋合ではない。

二、原判決は前記記載の如く前提して更らに進んで「気管内に嵌入するときは窒息死に至る危険ある豌豆大の「ヘキシル、レゾルシン丸」三粒を右蛔虫症治療の為之を与えんとせしも、右正明が泣いて受付けざりしところより、被告人榎原秀子に待合室に於て服薬せしむる様命じた為同被告人において第二掲記の如くヘキシル丸を土井正明の口中に投入したるに同人の気管内に之が嵌入し因て間も無く窒息の為正明をその場に死亡せしむるに至らしめ」と判示せり。然れどもヘキシル、レゾルシン丸は検事提出の薬事日報(昭和二十五年四月二十四日臨時増刊第一二二五号)に依れば、「六才未満赤色丸年令と同数以上の用量を増しても効果はないが減量した場合は著しく効果を減ずる」と明記し明かに六才未満の幼児にも其年齢と同数の赤色丸粒を投薬して差支なきことを認められている。この点被告人小野田医師が被害者土井正明に蛔虫駆除の為めヘキシル、レゾルシン丸を投薬した事は毫末も差支ないばかりでなく蛔虫駆除の適切なる療法の一つとして医師の経験信念からこの方法を採用したもので何等非難するには当らない。

三、又ヘキシル、レゾルシン丸は原判決判示の如くこの錠剤を紛として投薬の出来ぬ性質の薬であることは検事提出の前記薬事日報中「此薬は服用時は如何なる場合にも丸剤をつぶしたり噛んだりしてはならない」(用法9参照)と禁止している。然るに原判決には「錠剤を紛とせるもの」を投薬すべきであると判示している。乍併右薬事日報に依れば「本剤は胃の幽内部にいたつて崩壊し十二指腸及腸内で作用を顕はす」性質のものでこの薬品の性状は気管及皮膚に対して刺戟性がある(右薬事日報性状の項参照)から之れを粉末にして投薬するときはその刺戟により咽喉部食道は「タヾレ」る危険があるからこれを防止する為めに「ゼラチン」の丸皮にて包み胃の幽内部に達せしめてそこで直接蛔虫に作用せしめて死滅さす効果をあげるのである。されば「丸剤をつぶしたり噛んだりしてはならない」と禁止したる所以はこの強き刺戟性がある為に故らに明示してある次第で「錠剤を粉とせるもの」を服用さすなどのことはこの場合出来得ざる素人考であつて医師である被告人小野田としては承服し難き次第である。

四、検事提出の薬事日報のヘキシル、レゾルシンの用法として「本品は医師の指導なしに服用しないこと」の一項がある。而して医師である被告人小野田は被害者土井正明にこの薬を同人の蛔虫病治療の為め与えんとしたが「右正明が泣いて受付けざりしところより被告人榎原秀子に待合室に於て服薬せしむる様命じた為」(原判決の説示)榎原秀子がこのヘキシル丸を正明の口中に投入し同人の気管内に之が嵌入し因て窒息死に至らしめた旨を判示し、被告人小野田は看護婦榎原秀子に命じ待合室に於て服薬せしめた事が医師の業務上過失の一部を為すかの如く判示して居る。原判決の判示の説明が十分でないので「被告人榎原秀子に待合室に於て服薬せしむる様命じた為」の字句は或は事実の説明に過ぎぬものか又はこれも医師の業務上過失の一部を説明しているものか聊か解決に苦しむものであるが原審第三回公判調書の裁判官の被告人小野田に対する「看護婦が傍え附いてやつたら医師として義務を果たせるのか」との質問と検察官の「被害者正明は投薬を嫌忌し泣叫んでいる事実本件投薬は丸薬で診察室から離れた待合室で看護婦に命じてやらしめていることで」過失ありと論告している点等から見て原審は被告人が看護婦に命じ待合室で正明に丸薬を飲ませた事が医師の業務上の注意義務を欠くものと原判決は判示した様に解せられる。若し然りとせばこれは実に誤れる重大なる事実の誤解である。ヘキシル、レゾルシン丸には「本品は医師の指導なしに服用しないこと」とあるのは前記薬事日報に記載した通りである。之れは服用する患者に与えた注意であつて医師に与えられた注意事項では無いことに着目され度い。蓋し医師はこの薬の性状を熟知しているから患者の症状年齢に応じ適宜処理出来るから其必要が認められぬからである。

この注意事項を患者に与えている所以はこの薬には副作用がある。即ち「患者により一過性の腹痛食慾不振嘔吐悪心軽い下痢を起すことがある。その発見率は一〇-三〇%といわれると前記薬事日報に掲載されて居る。この副作用がある為め医師の適当な指導なしに患者が勝手に服用するときは危険が伴うことがあるからこの点で特に注意したものである(原審鑑定人前田真証言「毒力が強いから服用後について責任を持たねばならぬと思います」参照)決してこの丸薬が気管に嵌入する危険があるから必らず医師の側を離れて服用してはならぬとの注意では無い。若し丸薬は何時気管に嵌入するかも知れぬから医師の指導なしに医師の側を離れては服用さしてはならないものとすれば独りヘキシル丸のみではない世上幾多の錠剤丸薬が発売されて居り又医師からも投薬せられることがあるその都度医師の側に於て服用せなければ危険と言うことになり又医師が患者に丸剤を投薬した場合には必らずその患者を医師の側に置いて服用させねば医師の業務上の過失となるとしたならば大変なことになる。若し丸薬は一般に気管に嵌入する性質の危険性のあるものだからとて厚生省に丸薬製造発売の禁止運動をするものがあつたならば世人からはその無智非常識を笑われることであろう。彼の仁丹の如き小粒にして滑り込み易き丸剤でも未だ曾て気管に嵌入した例を見ないのである。丸剤として製造発売を許して居るのはそれが「気管に嵌入する危険」などは事実上全く有り得ないとの前提の下に許可して発売せしめて居るのである。唯だ「ヘキシル丸」に限つて医師の指導を患者に要求して居るのはその薬効に副作用が随伴するからその点の危険防止の為めであつて丸薬の気管嵌入防止の為めではないことは明白なる事実であつて一点の疑義を挾む余地はないと信ずる。それであるとすれば「ヘキシル丸」の服用は医師と同室で医師の側でなければ服用出来ぬ性質のものでは無く待合室で看護婦に命じて患者に服用さしても毫未も不都合も無ければ医師の業務上の過失を惹起したものでも無いと確信する。この点に付て原判決に誤認がある。

五、原判決の説明によるも被告人小野田は被害者土井正明に対し直接其口中に丸薬を入れたものではないことは明かである。被害者の口中に丸薬を入れたのは看護婦榎原秀子であつて秀子は被告人小野田の命によつて丸薬を正明に服用さしたものであることは原判決の理由説示により明白である。被告人小野田は医師であつて診察して適当なる薬を選択して患者正明に与えたのである普通の場合はこれで其患者に対する医師の診療行為は終了したものである。本件はその与えたる薬を看護婦をして服用さした為めに事故を惹き起したのであるが斯様に薬を患者に服用さす場合には医師は直接手を下して服用させねば医師としての責務を果して居ないものかどうか其点は重要な問題である。原審第三回公判調書の横繩鑑定の鑑定証言中、問、看護婦の場合医師の命によつて看護婦に薬を飲まさすことがあるか。答、熟練な看護婦は出来ます(中略)問、医師が監督して服用さす場合熟練な看護婦に命じて飲ますのが普通の方法か又は医師が直接服用させねばならぬのか。答、看護婦が熟練しておれば医師の監督下の周辺でやるのが差支ないと思います(中略)問、熟練した看護婦なれば周辺におつて監督しておれば良いと述べたが医師が診察室におり看護婦が待合室でやらすのがその形になるのか。答、私が先程述べたのは看護人が同じ部屋におるから其時やらしても良いと云う意味で言うたのです。とありて其要旨は熟練した看護婦ならば医師と同じ部屋にありて看護婦が丸薬を服用さしても差支ないとの結論となつて居る。乍併この横繩鑑定人の鑑定証言せる(一)熟練なる看護婦なること(二)医師と同じ部屋に在ることの二条件が具備せば看護婦が患者に丸薬を服用さしても良く其他の場合には看護婦をして患者に丸薬を服用さしては不可なりとの鑑定は果して何を根拠として斯くの如き鑑定を為したるや諒解に苦しむ処である。医師と同室して看護婦が普通行わるる方法として舌圧子にて患者の舌を押え丸薬を投入したりとしても其方法が偶然の機会にて気管に嵌入したとせば如何。この場合には医師と看護婦とが同部屋に居り医師が其看護婦の行う方法を注意して凝視して居た事実さえあらば此場合には仮令患者は窒息死に陷るも医師には何等の過失なしと結論するのであるか又熟練看護婦が医師の隣室に於て同一の行動を採つた場合にのみ医師に過失ありと断定するのであるか。この二つの何れの場合にも行動する看護婦の指導を医師がこれを遮ることの出来ぬことは全く同一である。而してその口中に投じたる丸薬の気管に嵌入することは一瞬の出来事である。この場合医師の監督と言い指導と言う唯だこれ言葉の上の綾に過ぎない実際に於ては看護婦の一瞬の指頭の動きによりて左右せらるる刹那の出来事である。そこに医師のどの様の監督も指導も実際的には出来ないのである。この点から原審横繩鑑定人の前記の鑑定証言は其裏付けとなる根底の理由を欠く。唯単なる同鑑定人の臆測から出た妄断であると思う。被告人小野田の弁護人としては常識に合せない承服し兼ねる鑑定である。此点に付ては控訴審に於て更らに有力なる権威ある鑑定人の鑑定の結果を竢つて医師のこの場合に於ける注意義務を明白にせられ度いと思う。この点原審裁判は事実の審理を十分に尽さざる憾みありと信ずる。

六、弁護人の信ずる処は医師が処方したる薬を熟練したる看護婦をして患者に服用さす可く命じた丈けでそれで医師の仕事は一応終り其以後の行為は看護婦の独立したる行為に移るのであつて其看護婦の行為に失態ありとするも其失態の責任は直接行動した看護婦の負担すべきものであつて医師に於て其責任を負担させらるべきものではない。因果関係は独立したる職責を有する看護婦に服薬を一任したることによりて区画されているのである。而して熟練したる看護婦に薬の服用方を命ずることは医師としては通常一般に行う処である。此点からも被告人小野田に本件罪責を負うべき筋合は無いものであると確信する。

叙上一乃至六点に分別して説明せる通り被告人小野田が三才の幼児に駆虫剤ヘキシル、レゾルシン丸三粒を与えた事に付いては医師として其経験と信念から駆虫薬として最善有効なりと判断して投薬したものであり、レゾルシン丸は六才未満の患者には年齢と同数のものを与うることは適当なる措置にしてその点に付ては医師として何等業務上の過失を咎めらる可き筋合にあらず。この場合原判決の説示する通り「飲み易き散剤又は錠剤を紛とせるもの」を与えざりしは周到なる業務上注意を欠くものと指摘するのは仮論でこれは医師の診療投薬の範囲に迄裁判所が介入するもので、裁判官が医師の診察の結果判断して投薬する信念を曲げしめて治療効果の少き医師の自信なき胡麻化し薬で間に合わさしてその場を糊塗せよとのこととなり医師法第一条に規定せる医療及び保健指導を掌ることによつて公衆衛生の向上及び増進に寄与し以て国民の健康な生活を確保することを使命とする医師本来の目的から逸脱せしめんとするものである。原審鑑定人横繩俊夫の供述(第三回公判調書)に依れば「現在ソ連からサントニンが来ないので今私の病院で使つているサントニンが効力が弱く年齢に定められた以上の分量を与えても蛔虫が出ないので何とか効力を増す様に方法を考えています」とある点から見ても散剤としてのサントニンは現在其効果少く又丸薬レゾルシン丸を紛とすることの出来ないことは既に説明した通りであり被告人小野田は其職業上の良心から患者の蛔虫を駆除する為めにレゾルシン丸を使用したことは何等非難するには当らないのである。而してその丸薬が気管に嵌入し窒息死すると言う事例は曾てない事で全く予見し得ざることであることは原審証人耳鼻科医師平野安一の証言(原審第二回公判調書)問、医師は普通本件のような事を予想することがあるか。答、斯様なことは普通予期しないことです。問、このヘキシル丸の投薬は。答、これも通常予期しない事です。問、斯様な事例は文献等にあるか。答、斯様な事例は知りません風船や銭が詰つたと言う事は知つています。との問答あり又鑑定人和歌山医大耳鼻咽喉科医長前田真の鑑定供述(原審第三回公判調書)には、問、医師が只今申された丸薬を飲ますについて気管へ詰ることを予知せねばならぬ訳か。答、ものを口へ入れたら吸込むと言う発表を聞いたことはありません只耳鼻咽喉科の我々は小さな子供がゴム風船等を気管へ入れた様なことを二年に一回位取扱うので口へ入れたら或は気管へ入ることがあるなと予知するのは耳鼻咽喉科の我々でないかと思いますそれ以外の医師は予知しないと思います。と鑑定しヘキシル丸が気管に嵌入するなどとは普通医師としては全く予期以外のことである。この点に付内科小児科医である被告人小野田が予期せなかつたとしても周到なる注意を欠いたとして其責任を追及することは誤つて居る。尚ヘキシル丸を患者に服用さす場合看護婦に命じて待合室で飲ました点に付ては先に詳細述べた通りで原審横繩鑑定人の言うが如く「医師と同室して看護婦は飲まさなければいけない」との趣旨の鑑定は何等根拠のない同鑑定人の独断であつて採るに足らない。此点は控訴審に於て更らに鑑定を求めて其間違つている点を明白にしたい。殊にヘキシル丸の注意事項である医師の指導なしには服用してはならないとの注意は服用する患者に注意して禁止したもので医師に対して命じたものでは無く医師はこの薬を投薬するに付ては其薬効副作用に付き全責任を持つのである。この注意事項の医師の指導とある点から本来の注意の趣旨を曲解し普通の方法で良き丸薬の口中投入に迄何等かの特別措置を講ずべき必要あるかの如く解し被告人小野田に対し看護婦の措置迄其責任ありとするのは事実を曲げて過失の責任を負担せしめんとする違法の裁判であると信ずる。看護婦は看護婦として其技術を習得したる独立したる職業で患者の服薬などは其習得したる技能に於て行うのであつて其点迄は医師の敢て介入するを要しないのである。彼等は散剤の飲まし方丸薬の飲まし方に付ては習得したる技能を持つているのである。されば待合室に於て看護婦に命じて服薬さした点に付ても被告人小野田に責むべき点はない。

以上何れの点から観察しても被告人小野田は当然無罪の判決を言渡されて然るべきものと信ずる。

第二、被告人榎原秀子の控訴趣意

被告人榎原秀子の犯罪事実は被告人小野田の命により待合室に於て土井正明にヘキシル丸を服用させんとして同人の気管に右丸薬を嵌入せしめて窒息死を来たさしめた事実である。被告人榎原の患者正明に対して執りたる措置は舌圧子で患者の舌を押えて丸薬を口中に投入したのであつてこの方法は誤つては居ないのである(原審横繩鑑定人の供述 京都大学でやつているのは舌圧子で押えて投り込む方法である。)

只被告人小野田の控訴趣意第一の一に述べたる通り口中の丸薬が気管に嵌入することは先例なく鑑定人前田真が鑑定する如く耳鼻科以外の医師は予知し得ざる事例である。然らば医学的素養の劣れる看護婦はこれを予見し得なかつたとしても致方がない。之れが為めに刑事上の責任を負担せねばならぬ理由はない。被告人榎原の服薬の仕方に付ては一応普通修練したる方法であつて其方法に過失があつたとの証拠は存在しない。

本件の被告人榎原の投薬したる丸薬が正明の気管に詰つたことは何人も予期の出来ない隅然の不可抗力である。この点同被告人に対し証憑十分ならずとして無罪の御判決をお願いするものである。

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